『鐙の里』7代・当主/幼名:竹千代
竹千代物語
著作:ANS.Japan.『鐙の里』
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孤城・岡崎の幼主として生れた竹千代は、松平家一族の『希望の星』であった。

幼名

戦国時代・城主の子息には、代々、同じ幼名を付ける慣習が広くゆき渡った 竹千代・・・松平元康のちの徳川家康。----→将軍家・初代征夷大将軍
竹千代・・・徳川家綱。--家光の長男------→将軍家・第4代征夷大将軍
於義丸・・・松平秀康のちの結城秀康。----→越前・松平家
五郎太丸・松平義直のちの徳川義直。----→尾張・徳川家
長福丸・・・松平頼宣のちの徳川頼宣。----→紀州・徳川家
鶴千代・・・松平頼房のちの徳川頼房。----→水戸・徳川家

徳川氏系譜

新田義重・・・・・・・・・・・・・・・松平清康-広忠-徳川家康-秀忠-家光-家綱-綱吉-
波瀾のスタート

458年前・弱小国、三河にあって、竹千代ぎみは、波乱の人生をスタートした。 1542(天文11年)・・・12月:竹千代誕生・父:岡崎城主・松平広忠、母:於大のかた。
1548(天文16年)・・・06月:竹千代・織田家の人質となる。(戸田氏の謀反による)
1549(天文18年)・・・04月:父、松平広忠逝去。三河の宿無し大名の始まり。
1549(天文18年)・・・08月:今川家人質となる。(織田-今川間の人質交換成立)
1555(弘治元年)・・・03月:元服・・・名を元信と改める。(14歳)


時は流れ流れて・松平竹千代とは、何の関係もございませんが・・・
幼名__「竹千代ぎみ」でござる!!
1999(平成11年)・・・10月
当家・あぶみのさと・七代当主~幼名/竹千代・誕生

それは、予のことかえ???。


節目

ところで、其の後、松平元信は江戸幕府を開くが、その道のりは、遠うかった!!! 1556(弘治02年)・・・01月:今川義元の姪(鶴姫/築山殿)と結婚。
1560(永禄03年)・・・05月:桶狭間の戦い、今川義元・田楽狭間の露と消ゆ。
1560(永禄03年)・・・**月:松平元康・岡崎城入城、三河大名の第一歩始まる。
1562(永禄05年)・・・**月:清洲同盟、織田信長と締結。
1563(永禄06年)・・・07月:名を元康から家康へ改め、今川家と決別。
1566(永禄09年)・・・12月:三河平定、姓を「徳川」へ改む。徳川家康のスタート。
1570(元亀元年)・・・06月:姉川の合戦
1570(元亀03年)・・・10月:三方が原の合戦(武田信玄に敗れる)
1573(天正元年)・・・09月:長篠城、陥れる
1574(天正02年)・・・05月:高天神城、奪わる(武田勝頼に敗れる)
1575(天正03年)・・・05月:長篠の合戦(織田信長の援軍来る)
1581(天正09年)・・・03月:高天神城、陥れる
1582(天正10年)・・・03月:武田勝頼、割腹、武田氏滅亡
1582(天正10年)・・・06月:本能寺の変、織田信長:死去
1584(天正12年)・・・03月:小牧・長久手の戦い
1590(天正18年)・・・07月:小田原城陥落、北条氏滅亡
1598(慶長03年)・・・08月:豊臣秀吉:逝去
1600(慶長05年)・・・09月:関ヶ原の戦い
1603(慶長08年)・・・02月:徳川家康・征夷大将軍に任ぜらる(江戸幕府)
1605(慶長10年)・・・04月:徳川秀忠(三男)・二代征夷大将軍に任ぜらる
1614(慶長19年)・・・12月:大阪冬の陣
1615(元和元年)・・・05月:大阪夏の陣:豊臣秀頼、割腹:豊臣氏滅亡
『徳川家康廟』

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